暑さに備える
2011年06月26日 [ カテゴリー: 雑感 ]
経営計画書をしっかりと作るため、
①誰にもジャマされない自分ひとりの時間を作る
②頼りになる友人と励まし合いながら作業できる環境を作る
という二つの目的を持って、定期的に集まってます。
そんなワケで、水曜日から金曜日まで東京のホテルで二泊三日のカンヅメでした。
しかしまぁ、東京は暑い・・・・・
お昼と夜はおいしいものをみんなで食べるのが楽しみなわけですが、それで
ホテルを一歩出ると、すかさず暑い・・・・・
まだ梅雨ですが、その中休みかのようなふとした晴天の一日がなかなかキツイ。
節電を意識した涼のとり方がテレビなどでよく話題になってますが、本格的に
工夫しないとこの夏はツライぞと。
改めて怖くなってくるここ数日の暑さでした。
おつかれさま!!
2011年06月25日 [ カテゴリー: 仕事 ]
第一四半期が終わり、8月の第二四半期までの軌道修正を年間スケジュールで
確認しました。
各部長がそれぞれに知恵を絞った結果が出ており、内容は申し分ありません。
今期は部長主導での事業計画策定、実行の2期目です。
僕のテーマは「待つ」という事、そして部長の実行段階では「口を出さない」事。
「口を出さない」事が難しいのですが、それには計画承認までの段階が大事。
気づいてもらうのをまた「待つ」わけですが、ここでどれだけ気づきを導けたか?
手を出す、口を出すはカンタンです。
これまでジブンがやってきた事なんで。
ただ、みんなの思いは同じはず。
去年より今年、今年より来年が良くなるストーリーが出来てるか、それだけです。
そこにこだわると、少しは助け舟が必要。
それはご理解いただきたい。
これから次のチェックポイントとなる8月まで、部長の計画を全力で後押しします。
最後の最後、夏の賞与額の最終調整で部長さん達の仕事もひと段落。
まずは、おつかれさま!!
うれしいお招き
2011年06月18日 [ カテゴリー: 仕事 ]
久しぶりに前の会社でお世話になったNさんからご連絡をいただきました。
僕が若かりし頃、仕事とは何かという事について本当に多くの事をこの会社で
教わりました。
Nさんは3年ほどお世話になった忘れられない上司です。
今でも甘いところだらけの僕ですが、当時の僕はさらに甘かった。
出来ない事に言い訳。
時間の約束も守れない。
自分勝手な判断で単独行動、そして失敗。
それを一つ一つ注意して下さったのが、Nさんでした。
ところが当時の僕は、そのありがたみが分からない。
反抗しつくして、最後には失礼にも「転属願」を出してNさんの部署を飛び出しました。
そんな僕も社長という職について早7年目。
自分の下に「部下」と呼ぶ人間がつくようになり、その目で当時の僕を見てみると、
まぁ何というか・・・・・チンピラですね。最悪です、最悪(笑)
それに気づいてから、恥ずかしくてなかなか訪ねられなかった。
ホントは一回キチンと当時の無礼をお詫びしたいのに・・・・・
今回お電話をいただいたのは、会社の記念式典に「OB」の一人としてお招き
いただけるとの事。
こうやって大事な節目に「OB」として参加出来るのがうれしい。
それってちゃんと歴史の1ページに自分がいたって事ですもんね。
そこで恥ずかしくない自分でいようと。
それと長年の宿題として一言お詫びしようと。
そんな事を思いながら、「喜んで参加させていただきます」とお返事しました。
今から楽しみな9月の予定です。
視察で学んだこと
2011年06月17日 [ カテゴリー: 仕事 ]
視察を振り返って、学んだことをまとめます。
①地震だけなら・・・・・?
地震単独の被害は、もしかしたら少なくて済むモノなのでは?
事実、阪神大震災では直後の大規模火災が深刻でしたし、東北大震災では津波の
被害が甚大です。
意外なぐらい木造家屋も高台に残っており、強いて言うなら瓦が落ちているくらい。
(車窓からですから中は分かりません。ゆがみや外壁のひびはあるかもしれません)
管理物件の見回りの結果、建物自体というよりは設備(給排水管やEV)の故障が
多かったようですし、専門的見地ではないですが地盤がしっかりしていれば地震には
もしかしたら耐えられる建物が多いのかもしれません。
②保険が身を助ける
地震保険の重要性は言うまでもなく、火災保険だけでは絶対不十分。
地震保険は今後の賃貸経営には必須です。
複数年払いではなく一年更新のオーナーさんは保険料の見直しをすると安くなる
ケースも多いようですし、現在加入されていないオーナーさんは早急に加入される
べきです。
③細かい動きよりも、専業の振り分けとチームの振り分け
全てマニュアル通りに動ければいいですが、やっぱりそうはいかないのが緊急時。
前述したとおり、生活物資の補給から電話受付、現場確認、役所手続き、困り事に
関する法的解釈の調査まで・・・・・
まとまった件数の問題を一時にまとめて対応しなければならないため、チーム分けを
準備しておく事は非常に重要です。
管理部門は災害発生時からやる事が急増しますし、仲介部門は一時ストップせざるを
得ない。
臨機応変にその場でチーム単位の動きをするため、事業ごとにその場でやるべき事と
優先順位を判断しなければいけません。
④連絡網
入居者の方々の安否確認、オーナー様の安否確認、社員の安否確認etc・・・・・
現地でつながらなければ困る連絡もあれば、仲介部門は転勤・進学で県外からの
お客様との連絡も取らなければいけません。
日頃は電話で事足りる連絡網も、非常時のバックアップが必要です。
メール、SNS、ある会社では携帯用の無線機が大活躍したとの事。
⑤役所との協議
震災復興支援住宅として全住協が進めてきた準備が、やっと実を結び始めている
ようです。
福島方式、宮城方式(勝手につけた呼び名ですが)、先達の試行錯誤の結果は
われわれも活かさなければいけません。
契約条件、制度の利用範囲、書類の書式、空室情報の収集など、事例をヒントに
備えておける事は多いと思います。
今後の重要な課題として、大分市役所、大分県庁の方々と少しずつでも前に
進めていきたいと思います。
仙台地区応援視察⑦
2011年06月16日 [ カテゴリー: 仕事 ]
バスは再び東北自動車道を経由して仙台へ。
最後の視察地、高速道路を境にして津波に壊滅的な被害を受けた海側の新興
住宅地にあった小学校に行きました。
地震発生直後、体育館に避難した多くの近隣住民が、一瞬にして津波にさらわれた
そうです。
慌てふためいて逃げてきて、とりあえずは安全な避難場所でホッと一息のはず
だったのに・・・・・安心、安全な場所だったはずなのに・・・・・
小学校の多くは耐震補強が進んでおり、今回の被災地の中でも地震で崩壊した
という事はほとんどなかったと報道で目にしました。
ただ沿岸部で津波が直撃した建物というのは、津波の威力がいかに人知を超えた
ものであったかを物語ってます。
体育館の2Fギャラリー部分の窓はすべて割れており、波の高さがわかります。
警報が出てから到達までは間もなかったことでしょう。
海岸の防風林をなぎ倒し、家々を飲み込み、やがて避難者であふれる体育館の
フロアを一瞬で覆いつくし、跡形もなく全てを流していく黒い波・・・・・
校舎玄関の掲示板には「卒業式予行演習」との当日の行事予定。
校舎3階部分の時計は発生時刻の2時46分を指したまま止まっています。
なんとなくしんみりせずにはいられない光景で、最後の最後にまたコトバを失った
小学校を後にして、仙台駅前で解散した1泊2日の応援視察でした。
仙台地区応援視察⑥
2011年06月15日 [ カテゴリー: 仕事 ]
衝撃的だった女川を後にし、昼食のため再び石巻に入ります。
まずは付近の多くの人を救い、助かった人たちが惨状を目の当たりにした6階建ての
立体駐車場を見学です。
EVは壊れており、非常階段で最上階へ。
付近が一望できる場所で、当日命からがらここへ避難した駐車場の管理人さんの
お話を伺いました。
第二波、第三波と押し寄せる津波に街が呑み込まれていく一部始終をなすすべなく
見ていたその女性は、最後は涙交じりになっていました。
道路向かいのビルの窓枠に必死でしがみついている人や、どんどん流されていく
橋の上に停まっていたクルマが次々流されていく様子とか・・・・・
そりゃたまらないだろうと思います。
ただ救いは、近隣の町内会からの要請でこの立体駐車場ビルが「防災拠点」と
して新しい役割を担っていくとの事。
犠牲者の方々への誓いというか、生き残った方々が今回の震災の教訓を犠牲者の
方々のために活かしていくシンボルというか。
きっとこれからの石巻になくてはならない建物になっていくんだと思います。
そこから昼食会場へ。
冠婚葬祭なんかで団体客の利用が多そうなお店でしたが、エントランスホールの
雰囲気がなんか違うんです。
よく見てみると、古着屋さんかのように衣類がハンガーやテーブルに陳列されている。
貼紙には「必要な方はお持ち帰りください」と。
救援物資として寄せられた衣類だったんです。
ベビー服からレインコートのようなものまで。
見に来て、手に取ってる方もいらっしゃったんで、きっとどこかで役に立つんでしょう。
地元ののために出来る事、をカタチにした結果なんでしょう。
地元とともに頑張っていく、というそのお店の決意なんでしょう。
助け合いやなぁ・・・・・と感動しつつ、地元産の海鮮料理に舌鼓。
再びバスに乗り、仙台へと向かいますが、最後に寄った小学校のハナシは次回に。
仙台地区応援視察⑤
2011年06月14日 [ カテゴリー: 仕事 ]
女川は約40mの津波が押し寄せたそうです。
40mって・・・・・映画の世界やん・・・・・
その傷跡は車窓からの風景で目の当たりに。
丘の上から見下ろすのはホントになんにもなくなった街の様子です。
大分で言えば護国神社の鳥居とか、にじが丘のゴルフ練習場とか、上野の美術館
だと中腹くらいの高さに町営の病院が建ってますが、その2階まで津波が到達した
との事。
40mってそんな高さです。
テレビで見た通り。
川を遡るようなカンジで、沿岸から山裾の地域までキレイに何もなくなってました。
ビルの上には逆さまになったクルマがあり、RC造の3階建のビルが基礎から
ポッキリ折れたように真横に倒れています。
非常階段が側面についてて、屋上防水のシートの緑が見えてて、段々とビルが
真横に倒れている事が分かる・・・・・衝撃です。
海産物の加工のために倉庫があったところからは、魚の腐った匂いが漂ってくる。
異常なぐらいハエも多い。
やっと車が通れるようになったという道路は、当然ながら街灯などありません。
震災直後の夜にクルマでここを走った人は、がれきをよけながら、側溝に落ちない
ように真っ暗闇の中をしずしずと、それは怖くてしばらくは来ないようにしようと
思ったとおっしゃってました。
打ちのめされた思いの中バスは昼食のため再び石巻へ。
中心街でお聞きしたハナシ、見てきた事は、また次回に。
仙台地区応援視察④
2011年06月13日 [ カテゴリー: 仕事 ]
二日目のバスは石巻に入って高速を下ります。
市内は仙台とは比べものにならない状況です。
まさにテレビで見る通りのグチャグチャな街を目にすると、一様に漏れてくるのは
「はぁ・・・・・」
「へぇ・・・・・」
唖然としてしまいます。
とにかくクルマがあんなにクシャッとつぶれた所や、鉄骨があんなにひん曲がった
所は生まれてこの方見た事がありません。
道路を挟んで方や住宅街は木造二階建ての住宅がごくまれに残ってはいますが、
ほとんどが解体後の廃材の集積。
方や工場地帯は倉庫が柱ごと傾いていたり、大きなタンクが転がっていたり。
特撮映画の怪獣が暴れた後のようです。
それでもずいぶん片付いたそうで、各地で集めたがれきの集積所は果てしない
広さの空き地に高さ4~5mのがれきの山が延々と続いていました。
20年分の廃材が出てるとの試算をしているらしいです。
クルマはクルマで一ヶ所に積んでありましたが、もう見ているこっちが滅入る光景。
行き交うトラックにはそれでもまだまだがれきの山、山、山・・・・・
昼食に戻って来る事になるこの石巻はそれでもまだ街が残っている方らしく、
確かに「ここを境に津波の被害の大小が分かれた」と言われている川の向こうには
無傷に近い集落も残っていました。
物資やインフラの面では無傷とは言えないんでしょうけど・・・・・
コトバを失ったわれわれを乗せて、バスは女川を目指します。
「この丘を越えると、風景は一変します」
との案内に、気が滅入るのと怖いもの見たさの複雑な感情が。
さらに壮絶だった女川のおハナシはまた次回。
仙台地区応援視察③
2011年06月12日 [ カテゴリー: 仕事 ]
引続き仙台地区応援視察のお話を。
2日目はバスに乗って仙台南部~石巻~女川を視察です。
朝の仙台市内は東北自動車道へ向かう一般道が渋滞しています。
復興作業の必要な被災地にはホテルも足りず、やむなく仙台市内を拠点に
動く人が多いとの事。
朝夕をピークに恒常的な渋滞が発生しているそうです。
仙台市内は前日に感じた通り拍子抜けするほど被害が少なく感じていたんですが、
この東北自動車道を挟んで景色が様変わりします。
当日はちょうど高架の道路ほどの津波が押し寄せ、道路が堤防の役割を果たして
道路以南は壊滅的な被害だったにも拘らず道路以北は被害がなかった。
道路を挟んで天国と地獄の風景が広がっており、車窓から見えるがれき、ヘドロに
覆われた田んぼ、ぐしゃぐしゃのクルマに言葉を失います。
高速道路で石巻に向かう車中、当日の避難状況を聞かせていただきました。
まさに九死に一生の奇跡的なハナシばかり。
意を決して道路を逆走して助かっただとか、サーフボードでパドリングしただとか。
印象的だったのは、みんな明るい事。
ネタにしてくれるんです。
だからこっちも気持ちが落ちない。
それがいいか悪いかはTPOだと思いますが、少なくとも僕はハナシがすんなり
入ってきました。
石巻にはそんな事も言ってられないくらい悲惨な風景が広がっており、さすがに
僕も言葉を失いましたが、それはまた次回。
仙台地区応援視察②
2011年06月11日 [ カテゴリー: 仕事 ]
先日に引続き仙台地区応援視察の報告とします。
初日の夜は名物の牛タンをいただきながら懇親会です。
協会の九州支部、中国支部の視察参加者に地元南東北支部から会議にご参加
いただいた役員の方々、総勢40名以上の懇親会になりました。
開場への移動中、全住協で進めている復興支援住宅の準備、対応の拠点である
現地事務所を拝見し、実務にあたる方々のお話を伺う事が出来ました。
とにかくそのスピードと「なんとか役に立ちたい」という気持ちに感動です。
この約3ヶ月、休みは3日しかなかったそうです。
一人は間近に控えた結婚も延期して。
さすがにその場では聞けなかったですが、懇親会の席ではなかなか言えない
苦労話もたくさん聞けました。
被災者の立場を振り回す輩がいるんですね・・・・・お察しします。
仙台市の国分町という繁華街で三次会までやりましたが、日曜日の夜とは
思えない賑わいでした。
聞けばほとんどが復興支援関係の県外から来たお客さんだとの事。
予約なしにはなかなかまとまった人数がお店に入れないくらいで、ちょっとビックリ
するくらいの人出でした。
おいしい牛タンもいただき、夜の街のにぎわいも堪能し、なんとなく
「うん、確かに仙台大丈夫やな」と錯覚してしまった初日の夜。
それが錯覚だった事は、翌日のバスからの風景を目にして分かるんですが、
それはまた次回・・・・・




